【4年目ナースが看護師を辞めた理由】脳外科内科病棟元ナースが本音を語ります

こんにちは、そら(@so___ra2)です。

突然ですが先日4年間勤務した病院を退職しました。

脳外科内科病棟で3交替勤務をしていましたがとうとう辞めました。

看護師という仕事自体が合わない場合、1年目で辞める人も少なくはないです。

石の上にも3年と言われる3年を過ぎ仕事にも慣れた4年目ナース。

今回は4年目看護師がなぜ仕事を辞めるに至ったのかをお伝えしていきます。

4年目看護師がいやだったこと

4年目看護師が看護師をしていていやだと思っていたことを5つに分けて紹介していきます。

夜勤がいや

まず夜勤がいやでした。はじめは夜勤なしの基本給だけでは一般職の大卒新卒と同じくらいの給料なので、早くひとり立ちして夜勤に入りたいと思っていました。

しかし夜勤をしたいと思っていたのは1年目まで。

だんだんと夜勤は自分の身を削るものだと感じるようになりました。

特に私の勤務先は3交替勤務だったので日勤深夜勤務がありました。

普通に朝から晩まで働いて、またその日の深夜から朝まで働くという勤務です。

正直、めちゃくちゃ眠いです。

私は夜更かしが苦ではなく深夜2時くらいまでは普通に起きていられる人だったのですが、仕事、しかも看護師の仕事は別でした。

点滴の滴下の計算や採血、看護記録、眠くて思考能力が著しく低下している時にそれらを失敗しないように気を張って仕事をするのは想像以上に大変なものでした。

夜に患者さんが落ち着いて寝てくれている日はよいのですが、大抵そうもいきません。

脳の病棟だったのでトイレ動作ひとつでも介助が必要な患者さんが大半でした。

そんな大変な夜勤ですが夜勤をすれば基本給以外に手当がつきます。

というかその手当がなければ正直誰も夜勤をやりたくないと思います。

私のところは3交替勤務で夜勤が8回。

深夜勤務4回と準夜勤務4回で約5万円弱の手当がついていました。

5万円は個人的になかなか大きい金額です。

ただその分日勤深夜勤務はとてもきつかったです。

前残業

残業はタイムカード以外の自己申告制でした。

超過勤務表に自分で残業時刻を記入し理由を書き印鑑を押します。

それが受理されればきちんと残業代が入る仕組みでした。

しかし始業前の仕事についてはつけるものはありませんでした。

手術や検査が9:00からでどう考えても始業時間の8:30からはじめては間に合わないという場合、早く出勤して準備しても給料はもらえません。

遅れればなぜ定刻を守れないのか手術室から怒られるだけです。

深夜勤務帯の人がやればいいじゃないかと思うかもしれませんが、深夜勤務の人は50人超えの患者さんの配膳や一人で食べられない患者さんの食事介助で手一杯です。

そんな状況でしたが、4年間前残業代をもらったことはありませんでした。

これは看護師業界どこも同じかもしれませんが私はなんだか腑に落ちませんでした。

良心の搾取だと感じていました。

前残業も基本給に入っているのだとしたら、看護師の給料は本当に安いと思います。

責任の重さ

2年目の途中で急性期病棟に異動し、3年目の後半にリーダー業務を任され始めました。

周りに指示するのが苦手で「こういう言い方をされたら相手はどう思うだろう」、「偉そうじゃないかな」と気にしてしまいなかなか人に何かをを頼むということができませんでした。

わからないことややったことがないことは先輩に聞きながらやっていましたが、わかることを人に頼むくらいなら自分でやった方がいいと思っていました。

しかしリーダーが自分で仕事を抱えすぎると全体を見渡すことが難しくなり、業務が滞ってしまったり抜けが出たりしてしまいます。

リーダーが余裕を持った方がチームとしてうまく回るだろうということをわかっていても、自分がリーダーをやるとなると何かやらないと落ち着かない状態になってしまい自分にリーダーは向いていないと感じていました。

またリーダーだけのことではないですが、50〜60人の患者さんの命をあずかっているという責任も大きかったです。看護師の仕事は一つ間違うと人の命に直結することばかりです。失敗できない、完璧主義にならざるを得ない状況。

しかし急変や急患対応も4年の経験値では心もとなく、そういった時さらにリーダーシップがとれなくなる自分を「だめなやつだ」と思い、何度リーダー業務をやっても慣れない自分に嫌気がさしてきました。

業務過多

辞める前の3ヶ月くらいは朝起きられなかったですし、仕事中とにかくイライラしていました。

意思疎通を取ることが難しい患者さんや認知症の患者さんから何度も鳴るセンサーコール。

認知症の患者さんの10分おきのトイレコールとその記録。

採血やレントゲンなど何もしていない状態での病棟への急患。

何度も変わる医師と家族の病状説明の予定調整電話。

医師の指示漏れ。

ナースコールに追われて抑制している患者さんの看護師を呼ぶ声にも耳を傾けられない。

トイレラッシュに「またか」と思ってしまい、そんなことを思う自分にも嫌気がさす。

余裕をもって遂行できない、そんな自分にもイライラしてしまう。

いつになったら余裕が生まれるのか、業務をこなすのではなく「看護」をできる日は来るのだろうかと考えることもありました。

1日に数え切れないほどため息をついていました。

マスクの下は覇気のない顔。

自分のペースでガヤガヤしたところから離れてできる経管栄養作りや内服セットが唯一の心の安らぎだったような気がします。

身体にガタがきた

1番の決め手はこれだったように思います。

精神的には嫌なことや責任感からのストレスでまあまあ病んでいましたし睡眠障害はありましたが、精神科に行くような状態ではなかったと思います。

メンタルの前に身体の方にガタがきました。

突然の不正出血からの排卵障害の発覚、原因不明の肝機能低下と甲状腺機能亢進。

排卵障害はおそらく夜勤や不規則勤務によるものだと思います。

肝機能低下は飲酒をしていなかったですし、B型肝炎やC型肝炎などの感染症検査を行いましたが原因不明。また肝機能が低下しているため、詳しい甲状腺機能の検査ができず見送りでこれまた原因不明でした。

おそらく過労とストレスだろうとのこと。

肝機能は数日の休息により正常高値まで低下したので、有給休暇が4日分もらえた程度で職場復帰。

その後1ヶ月夜勤が免除されただけでした。

その頃は目標としていた血管造影検査をまだ習得することができていなかったため、すぐに辞めることは考えていませんでした。

しかしその頃からお金と仕事どちらが大事なのか考えるうようになったり、自分の命を犠牲にしてまで働く意味はあるのかと考えるようになりました。

同時にこの勤務形態での働き方は長くは続けられないとも思いました。

辞めることに後悔はなかった

ここまでやってきたし辛い新人時代や先輩との人間関係も構築したのに辞めるのは勿体無い気もしましたが、辞めるという意志は変わりませんでした。

私の場合は一旦長期に休息をとりたいと思ったこと、今まで忙しくてなかなかチャレンジできなかったことに挑戦したいという気持ちがあり一旦リセットしたかったので病院を辞めること自体には後悔はなかったです。

その後に後悔がでてきました>>>【看護師を辞めてみてわかった】看護師を辞めてよかったこと・後悔したこと

正直自分がリーダー業務までできるようになるとは新人の頃は夢にも思っていませんでしたし、将来は師長になりたいという出世欲も全くありませんでした。ずっと平社員がいいと思っていました。

人の命をあずかるという責任をこの先ずっと背負いながら夜勤をして後輩を育てていくのが辛かったのです。

辛くて苦しくて、これ以上責任を抱えるのは無理だと思いました。

看護師4年目を終えて私は看護師を辞めました。

最後に

私は今看護師を辞めフリーランスとして活動しています。

ここまで看護師として働いていていやだったことや辛かったことなどを書いてきましたが、遠くから看護師の仕事を客観的にみてみると悪いことばかりではなかったと思うこともあります。

人の人生に関わることができる、社会の役に立っていることが実感できる、金銭的に自立できるなど、辞めて分かるよさもありました。

人の生死に関わる、とても尊い仕事です。

今の段階で言えることは、私は労働環境や責任の重さが辛かったけれど看護師の仕事自体は嫌いではなかったということです。

これからどうなるのか自分でもまだわかりませんが、なんらかの形で看護に、人の人生に関わっていきたいと思っています。